沿革
小倉・永照寺六代目住職西吟の弟、「教尊」が開基です。教尊は細川三斎(忠興)公の碁や茶の湯等のお相手としても、格別の御懇意を受ける間柄でした。
豊前国小倉から肥後国へお国替えの際、三斎公は教尊をお供に連れて八代に移ります。
1638年(寛永15年)、教尊は八代で一寺を建立し、三斎公より「永照山光国寺」の寺号を賜りました。
1646年(正保3年)、細川行孝公が宇土へ領地替えとなったため、光国寺もお供寺として宇土へ引越しを命じられます。
翌年には、宇土新町四丁目に本堂が建立されました。十一代尽性の頃、門徒一同の要望により、宇土町新屋敷(現在の定府町)に移転し、現在、十七代重浩に至ります。
光国寺の歴史は宇土の地とともにあります。江戸時代より現在に至るまで、400年近くという長い時間を宇土の街とともに歩んでまいりました。